大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所 昭和63年(行ウ)39号 判決

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

(当事者の求めた裁判)

第一  請求の趣旨

一  被告は、被告補助参加人福岡県に対し、金五七万八〇三〇円及びこれに対する平成元年一月一〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

三  仮執行宣言

第二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

(当事者の主張)

第一  請求原因

一  当事者

1 原告三名は、肩書地に居住する福岡県民である。

2 被告は、一九八三年三月二三日以来被告補助参加人福岡県の県知事である。

二  公金の支出

1 被告は、一九八八年九月二〇日、九州各県知事のトップを切って昭和天皇の病気見舞いのため皇居を訪れ見舞いの記帳をした。

2 被告は、同月二三日から県庁入口正面付近に昭和天皇の病気見舞いの記帳所を設置した。

3 被告補助参加人福岡県は、右1の出張旅費及び記帳所設置に関する経費として、合計金五七万八〇三〇円を支出した。

三  本件公金支出の違法

1 地方自治は、国民主権原理を踏まえた人権保障を本旨とするものである。

病気は、人間としての天皇個人の問題であり、天皇の象徴性とは関係がない。象徴としての天皇が病気になることはない。従って、その平癒祈願なるものも存在しない。

天皇には、一般国民と異なり、法令上特別な資格と義務が与えられているが、このような実定法上の根拠に基づく特別扱いであればいざ知らず、国民主権主義との関係からみれば、実定法以外の特別扱いは厳に慎むべきである。

天皇の病気に対する感情は、あくまで個人と私人としての天皇の問題にとどめられるべきである。かかる私人間の問題について、被告が地方公共団体の長として病気見舞記帳に行くことや、庁舎内に記帳所を設置するために公金を支出するのは天皇個人を特別扱いするものであり、主権在民、法の下の平等を定めた憲法に違反するものであり、地方自治の本旨にもとり、法令から逸脱した行為である。

2 記帳所設置については、地方自治法第二条に例示されている地方公共団体の事務に該当するとの明文規定はない。

また、明文規定以外の事務を行うことが可能か否かは、「地方自治の本旨」に合致するか否かがその判断基準とされなければならないことも、地方自治法第二条第一二項等によって明示されている。

かかる違法な事項に対する公金の支出は、県知事の裁量行為の範囲を逸脱するもので、違法支出である。

四  被告の責任

1 被告は、県知事として前記の本件出張旅費、記帳所設置に関する費用を被告補助参加人福岡県に支出させた。

2 従って、被告は、被告補助参加人福岡県に右支出相当額の損害を被らせたので、これを賠償する責任がある。

五  監査請求の前置

1 原告らは、一九八八年一〇月四日、福岡県監査委員に対し、本件公金の支出を監査対象事項として「福岡県知事に対する措置要求」(地方自治法第二四二条第一項)をし、同日、受理された。

2 福岡県監査委員は、同年一一月二八日、原告らに対し、右請求に対する監査結果を通知した。

監査結果は、後記のとおり、原告らの主張は理由がないものとした。

六  監査の結果

監査委員の判断は、次のとおりである。

1 被告補助参加人福岡県では、昭和六三年九月二〇日に被告が皇居において天皇陛下ご病気お見舞いの記帳を行うとともに、同月二三日に天皇陛下お見舞記帳所が県庁前に設置され、これらに要する費用が支払われている。

2 地方自治法第一四七条は、「普通地方公共団体の長は、当該普通地方公共団体を統轄し、これを代表する。」と規定している。

ここで、「代表する」とは、「議会及び住民のすべてを含めて、およそ当該普通地方公共団体の事務に関して、集約的に当該普通地方公共団体としての立場を表すことを意味する。」と解されている。

また、普通地方公共団体は、地方自治の本旨に反しないかぎり、社会的活動体として、自然人、私法人、企業などと同様に、社会通念上相当と認められる程度の社交儀礼の範囲内の行為を当該普通地方公共団体の事務として行いうるものである。

従って、県知事が県民を代表して、日本国憲法第一条に規定する「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」である天皇陛下のご病気お見舞いの記帳を行ったことは、県民を代表する県知事として社会通念上許容される社交儀礼の範囲内の行為であると考える。

次に、地方自治法第二条第二項は、「普通地方公共団体は、その公共事務及び法律又はこれに基く政令により普通地方公共団体に属するものの外、その区域内におけるその他の行政事務で国の事務に属しないものを処理する。」と規定し、同条第三項で「前項の事務を例示すると、概ね次のとおりである。」と規定しており、普通地方公共団体に属する事務は、公共事務、委任事務及び行政事務であり、かつ、同条第三項の規定により同項に例示する事務に限定されないことは明らかである。

また、普通地方公共団体が、住民の福祉を増進させるため、住民の必要なものを提供する公共事務としてどのような事務を処理するかは、当該普通地方公共団体の裁量によって決めるべきものであり、当該普通地方公共団体の事務を統轄する長が何を公共事務として実施するかは、それが法令等に違反しないものであるかぎり、長自らの判断と責任においてなす裁量行為と考えられる。

従って、天皇陛下お見舞記帳所設置は、ご病気の天皇陛下を東京まで行ってお見舞いできない県民の便宜を図るためになされたものであり、また県民に記帳を強制するものでもないので、記帳所設置に関する事務は、地方自治法第二条第二項に規定する公共事務に該当し、県知事の裁量権の範囲内に属するものであると考える。

3 以上のことから、本件監査請求にかかる請求人の主張は理由がないと判断するものである。

七  よって、原告らは、被告に対し、被告補助参加人福岡県に代位して、損害賠償請求として、違憲、違法な支出にかかる金五七万八〇三〇円及びこれに対する訴状送達の翌日である平成元年一月一〇日から支払済みに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第二  請求原因に対する認否

一  請求原因一の事実中、1の事実は知らない、同2の事実のうち、被告が福岡県知事であることは認めるが、就任したのは昭和五八年四月二三日である。

二  同二の事実は認める。

なお、支出された公費の内訳は次のとおりである(括弧内は支出のなされた日)。

1 記帳のため上京した被告及びその随行秘書の旅費等(昭和六三年一〇月一五日) 金一〇万二四〇〇円

2 記帳所設置委託料(平成元年一月一〇日) 金一九万五二五〇円

3 記帳簿、文具類費(昭和六三年一二月一日) 金一八万九四二〇円

4 宮内庁への記帳簿郵送費(昭和六三年九月二四日) 金三万九七六〇円

5 宮内庁への記帳簿持参旅費等(昭和六三年一〇月四日) 金五万一二〇〇円

三  同三の主張は争う。

本件公金の支出は適法であり、その理由は同6の監査の結果のとおりである。

四  同四1の事実は認めるが、同四2の主張は争う。

五  同五、六の各事実は認める。

(証拠)〈省略〉

理由

一  争いのない事実等

1  請求原因一の事実中、本件公金支出当時から被告が福岡県知事であることは、当事者間に争いがない。原告らが福岡県内に居住している住民であることは、記録上明らかである。

2  同二(公金の支出)、同五及び六(監査請求の前置とその結果)の事実は、当事者間に争いがない。

二  証拠を総合すれば、本件事案の経緯は次のとおりであると認められる。

1  被告は、昭和五八年四月二三日から福岡県知事に在任しているものであるが、昭和六三年九月二〇日、当時天皇の地位にあった亡裕仁の病気見舞いのため秘書らとともに皇居に赴き、記帳を行った(以下「本件記帳」という。)。

2  被告は、さらに、同月二三日、福岡県庁舎前に亡裕仁の病気平癒のための記帳所を設け、その記帳簿を宮内庁へ持参し、郵送した(以下「本件記帳所設置等」という。)。

3  福岡県においては、福岡県行政組織規則第九条第一号により皇室に関する事務は秘書室が所掌することとなっており、本件記帳のための旅費、本件記帳所設置等の費用(以下「本件記帳所設置費用等」という。)は、福岡県事務決裁規程第一六条第二号により県知事である被告から内部委任(専決)を受けた秘書室長が支出負担行為及び支出命令を行った。

4  本件記帳所設置費用等の支出費目、支出額及び支出命令の年月日は請求原因に対する認否二に記載のとおりであり、支出額の合計は金五七万八〇三〇円である。

5  原告らは、福岡県の住民であるが、被告の行った本件記帳及び本件記帳所設置等が違法、不当であるとして、昭和六三年一〇月四日付けで、福岡県監査委員に監査請求を行った。これに対し、同委員は、同年一一月二八日付けで右監査請求は理由がない旨の監査結果を出し、同日、原告らにその旨通知したが、その判断理由は、請求原因六記載のとおりであった。

6  原告らは、昭和六三年一二月二六日、右監査結果を不服として本訴を提起した。

三  右の事実関係に基づいて検討する。

1  原告らは、本件記帳所設置費用等の支出は違法であり、被告は被告補助参加人福岡県に対し右支出にかかる金額を賠償すべきであるとして、地方自治法第二四二条の二第一項第四号前段により、被告補助参加人福岡県に代位して、本訴請求を行うものと解されるが、その理由とするところは要旨次のとおりである。

ア  亡裕仁が天皇の地位にあることを理由に、被告がその病気見舞いのため本件記帳及び本件記帳所設置等を行ったことは、主権在民、法の下の平等を定めた憲法に違反するものであって違法である。

イ  本件記帳及び本件記帳所設置等については、地方自治法上、普通地方公共団体の事務に該当するとの明文の規定はなく、地方自治の本旨に照らして、右事務に該当しないものと解されるから、本件記帳所設置費用等の支出は、県知事の裁量の範囲を超える違法なものである。

2  そこで、検討するに、普通地方公共団体の事務は地方自治法第二条第二項に定められ、その具体的な事務の例示が同条第三項に列挙されている。普通地方公共団体も一つの社会的な実体を有する地域団体として活動しているものであるから、他の公共的団体の関係者等との間で社会通念上相当と認められる範囲での交流活動を行うことや普通地方公共団体の長が当該普通地方公共団体を代表して社交儀礼を行うことも右の普通地方公共団体の事務に当然含まれるものと考えられる。そうすると、被告が県知事としてなした本件記帳は、その目的が日本国の象徴たる天皇に対する病気見舞いであり、職員一人を同行して一回だけ行われたものであって、支出された公費の額もさほど多額ではないから、社会通念上著しく不相当なものとはいえない。また、本件記帳所設置等は、天皇に対する見舞いの記帳を望む県民の利便を図るためになされたものであるが、天皇は日本国の象徴としてまた一つの国家機関としての地位も認められているのであるから、その地位にある者への県民の見舞いのための利便を図ることは地域住民へのサービス活動として普通地方公共団体の事務に含まれるものと解することができ、本件記帳所設置の態様、支出金額からみて、これが県知事の裁量の範囲を超えるものとはいえない。

また、天皇は、国民統合の象徴とされている憲法上の国家機関であって、このような要職にある者に対し病気見舞いを行うことが社会通念上他の一般国民を不当に差別するものといえないことは明らかで、憲法の保障する法の下の平等に反するとは到底解しえない。さらに右のような行為が主権在民の原理を否定し、あるいは地方自治の本旨にもとるものともいえない。

3  以上のとおりであるから、本件記帳所設置費用等の支出を違法なものであるとする原告らの主張は、いずれも失当といわなければならず、他に右支出を違法なものと認めるべき事情は窺われない。

四  よって、本訴請求は、理由がないから、これを棄却することとし、補助参加費用を含めた訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 富田郁郎 裁判官 大島隆明 裁判官 岡田 健)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例